「なぜか、ある人と関わると、どっと疲れる。」
「相手に悪気があるわけではないのに、なぜか申し訳ない気持ちが残る。」
そんな経験、ありませんか?
最近、わたしの周りで繰り返し浮かび上がってきているテーマ。
それは、無意識に罪悪感を植え付けてくる人たちの存在。
彼らは、意図的に人をコントロールしようとしているわけではありません。
しかし、その在り方、言葉選び、行動が、
結果的に周囲に
- なんとなく後味が悪い
- 言葉にできない不快感
- 責任感の押し付け
- なぞの申し訳なさ
- 尊厳が傷ついた感覚
……さまざまなかたちの“違和感”を、静かに残していきます。
とくに、
感性が高く、誠実で、責任感のある人ほど、
彼らの発する言葉や空気感に無意識に反応してしまいます。
そして、
自分を責めたり、
「もっと何かできたのでは?」
と、心を消耗してしまう。
日常にひそむ、見えない違和感
「あの人は、どうしてこういうリアクションをしてくるんだろう……」
うまく言葉にできないけれど、
関わったあとにモヤモヤが残る。
頭が重たくなる。
そんな違和感を、感じたことはありませんか?
サポートする仕事をされている方
リーダーの立場にある方は
同じような経験があるかもしれません。
あるとき、長文のメッセージを読んで、私は不思議と気分が悪くなりました。
内容そのものには問題はない。
それなのに、読後に残る“ズーン”とした重たさ。
まるで、こちらが悪いことをしているような感覚。
「なぜ、こんなに疲れるのだろう?」
内省の末に気づいたのは、その文章に含まれていた
無意識のうちに、自分は被害者だと感じさせてくる表現
どこかで「察してほしい」というエネルギー
相手から、その長文に込められた
「私は頑張ってる」
「でもうまくいかない」
「それでも学びに変えてる」
一見ポジティブな自己肯定のようで、実は読み手に静かな罪悪感を投げかけてくるような在り方。
読んだ直後は、
『私がもっと支えるべきだった?』
『この人の結果が出ないのは、私の責任?』
そんな錯覚すら生まれてしまう、
無意識の静かなる圧力。
誠実さを軽んじられるとき
あなたがモヤモヤしてしまうのは、
根深い『前提の違い』
あなたは、誰かに何かをしてもらった時、
「ありがとう」と言葉を添えますよね。
誰かの話を聞くとき、
心を込めて寄り添おうとします。
けれど相手は、
“やってもらって当然”という
消費者マインドで生きている。
この前提のズレがある限り、
関係性はどこかで食い違い、
あなたの丁寧さや誠実さは、
その価値すら気づかれずに扱われてしまう。
つまり、
あなたの誠実さが通じないのは、
あなたのせいではない。
相手が、その尊さに気づけないだけ。
誠実な人ほど、
「相手にもきっと事情がある」と思ってしまうかもしれない。
でも、だからこそ、
「誰に誠実さを向けるか」は、あなた自身が選んでいい。
その選択は、傲慢でも冷たいわけでもなく、
自分の神聖さを守るという、
ごく自然で、美しい選択なのです。
たとえば、
- 丁寧に連絡を返しても、既読スルーされる。
- 無料で相談にのった相手から、その後なんの音沙汰もなく、でも別の場では笑顔で現れる。
そんな経験はありませんか?
どれだけ誠意を込めて関わっても、
相手がそれを受け取る器を持っていなければ、
その想いは届かない。
そして、
誠実な反応は返ってこない。
丁寧に扱っても、軽んじられる。
そんな経験が続くと、
「自分が間違っていたのかもしれない」
と、自分を疑ってしまいそうになります。
けれど、それは誠実さの問題ではありません。
誰に向けてその誠意を差し出しているかの問題なのです。
誠実な人こそ、
誠実さを返してくれる人とだけ、関わっていい。
誠実さの選別
誠実さや優しさ、真面目さ。
“受け取れる器”を持つ人にだけ、与えたらいい。
心地よさのために、お花や香りを選ぶように。
お気に入りのお洋服を丁寧に扱うように。
言葉も、時間も、関係性も。
誰と共有するかを、丁寧に選んでいきたいものですね。
静寂と神聖さを守る
わたしは、ブレずに自分の本質と向き合い続けるには、
自分だけの【神聖な領域】が必要だと感じています。
しかしながら、残念なことに、誠実な態度で反応が返ってこない。
ふとした人間関係の中で、
その神聖な領域が汚染されたような感覚を覚えることがありますよね。
そして、一度汚染されると、
ことあるごとに脳内リフレイン。
本当は、切り離したい。
もう、思い出したくない。
前に進むために、
そこに時間を割いている場合ではない!
頭の中では、
とっくに理解しているのに、
脳裏に浮かんで、止まらない。
それは、PCのウィルス感染のようなもので、すでに感染して進行している状態です。
そうなる前に、必ず、
- 後味の悪さ
- 罪悪感
- いつもの自分ではない感覚
- なんだか落ち込む
- 理由はわからないけどムカつく
そう言った【違和感】というサインがあるはずです。
良心が痛みますか?
相手には、相手の都合があるし。
こころやさしい気持ちを持てるのは素晴らしいことです。
しかし、冷静に、客観的に俯瞰して感じてみてください。
自分の神聖さを汚すような相手の態度や関係性は、
あなたの人生にとって、必要ですか?
あなたの人生を向上させますか?
あなたの魂の成長に必要な学びですか?
違和感を感じるのなら、人との関わり方を見直すタイミングです。
まずは、
自分の神聖さを汚すような関係性や態度に対して、
そのサインを無視しないこと。
そして、静かに距離をとる勇気を持つこと。
誰と関わるかを選ぶことは、
わたしの神聖さを守ること。
この春、わたしは静かに決めました。
無自覚に罪悪感を植え付けてくる人たちとの縁を、そっと手放すことを。
心から美しい関係性だけを、自分の世界に招き入れる。
誠実さを、大切にしてくれる方へ
その誠実さは、あなた自身の美しさ。
だからこそ、誰にでも渡さなくていいのです。
大切に扱ってくれる人とだけ、
心を通わせていけますように。